「日本子どもを守る会」の歴史
日本子どもを守る会は、1952(昭和27)年5月17日に誕生しました。「児童は、人として尊ばれる。児童は、社会の一員として尊ばれる。児童は、良い環境の中で育てられる。」とうたった児童憲章が制定(1951年)された翌年、「私たちは児童憲章を完全に実現するために国民的な運動をおこします。」(基本目標1)と宣言して、会は発足しました。(以下の段落では、西暦のみ記載します。)
当時は朝鮮戦争の最中、米軍の前線基地となっていた日本の子どもたちは、その生活・文化・福祉・健康・環境のすべてにわたって発達環境が踏みにじられていました。この現実を黙視できないと、親や教師はもちろん、広範な人びとが本会に結集し、思想・信条の違いを超えて、子どもの人権と平和を守る国民的な運動を立ちあげたのです。
会の発足の趣旨とよびかけに応えて、多くの個人と団体が賛同の意見を表明し、全国各地で子どもを守る会が結成され、多彩で感動を呼ぶ運動が展開されてきました。
初代会長には、『原爆の子』の編集・発行に携わり、ペスタロッチ研究で世界的に有名な教育学者・長田新(広島文理科大学学長)が、副会長には、長田会長が原子爆弾症のために亡くなったのち27年の長きにわたって会長を務めることになる女性活動家・羽仁説子と、ジャーナリストの神崎清の2名が就任し、会の礎を築きました。その後、現会長の増山均(第8代)まで半世紀を超える長きにわたって、多くの市民団体と協力・連帯して日本の子どもを守り育てる社会的・国民的な運動を展開してきました。
会の具体的な取り組みとしては、「子どもを守る文化会議」、「平和祈念集会」、「子どもを守る」紙と『子どものしあわせ』誌、『児童問題研究』の発行があります。さらに、1964年から毎年続けてきた『子ども白書』の発行は、わが国の子どもを守る運動の指針書として、全国で広く読まれ、活用されています。なお、『花には太陽を、子どもには平和を―子どもを守る運動の50年』、『子どもの尊さ—子どもを守る運動のパイオニアが語る』、『子どもの尊さ Part. 2—子どもを守る運動の60年』には、日本子どもを守る会の歴史と運動に参加した方々の“初志貫徹”の努力の一歩一歩が綴られています。ぜひ手にとってご覧くださればと思います。
1979年の「国際児童年」から国連総会で「子どもの権利条約」が採択(1989年)されるまでの間、いち早く条約制定をめぐる国際的動向を紹介するとともに、この条約を日本政府が批准(1994年)するまで大きな市民的・国民的運動を展開してきました。その後も「子どもの権利条約市民・NGOの会」等と協力して、21世紀を真に「子どもの世紀」にすることを目指して、国際的な取り組みをすすめています。日本子どもを守る会は、関係団体と協力・連携し、子どもの声を聴きながら、子どもの最善の利益を実現するために、児童憲章の理念を引き継ぎ、子どもの権利条約の精神と規定に沿って、日本における子どもの権利の水準を向上させるための努力を続けています。
「日本子どもを守る会」関連年表
会の歩み | 世の中の動き | |
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1946.11.3-日本国憲法公布 | ||
1947. 3.31-教育基本法成立 | ||
1951. 5. 5児童憲章制定- | ||
1952. 5.17日本子どもを守る会結成。初代会長「長田新」– | ||
1961. 5.31 | 羽仁説子、第2代会長に就任 | – |
1964. 6.14 | 『子ども白書』創刊 | – |
1988. 5.22 | 大田堯、第3代会長に就任 | – |
1989.11. 2 | – | 国連総会、子どもの権利条約採択 (94.5.22日本で発効) |
1997. 5.18 | 中村博、第4代会長に就任 | – |
2002. 5.17 | 日本子どもを守る会50周年 (50周年誌『花には太陽を子どもには平和を』を刊行) |
– |
2004. 5.23 | 中野光、第5代会長に就任 | – |
2006. 5.21 | 正木健雄、会長代行に就任 | – |
2009. 5.17 | 正木健雄、第6代会長に就任 | – |
2015. 5.23 | 高橋栄、第7代会長に就任 | – |
2020. 7. 1 | 増山均、第8代会長に就任 | – |